情宣、寺山修司を学ぶ 第2章

こんばんは!情宣の12並木です。

首都大前期の合格発表があったみたいですね。合格されたみなさん、おめでとうございます。一転今日は大学の成績発表の日。果たして時計メンツの単位の行方は・・・。

そんなわけで(?)今回も寺山修司についてお勉強していきましょう!

【演劇実験室・天井桟敷と演出家・寺山修司】
俳句、短歌、詩、ラジオドラマ、テレビドラマなど幅広い創作活動を行ってきた寺山修司は1967年、31歳のときに自ら劇団を立ち上げます。それが演劇実験室・天井桟敷です。

天井桟敷という劇団名は寺山もお気に入りだったフランス映画『天井桟敷の人々』に由来するのではないかと言われていますが、ウィキペディアによると

「寺山曰く、「(好きな演劇を好きなようにやりたいという)おなじ理想を持つなら、地下(アンダーグラウンド)ではなくて、もっと高いところへ自分をおこう、と思って『天井桟敷』と名付けた」」

とのこと。

旗揚げ公演『青森県のせむし男』は当時売れっ子だったシャンソン歌手、丸山明宏(現美輪明宏)が主演を務め、寺山ファン、丸山ファン、野次馬などなどが押し寄せ連日満員御礼。千秋楽後にもう一度アンコール公演を行うほどの盛況だったそうです。

当初寺山は座付き作家に徹し、演出と劇団の運営は早稲田大学の演劇サークル出身の東由多加にゆだねていました。ところが、第三回公演『毛皮のマリー』で各方面との対立から演出の東が降板してしまいます。そこで、東に代わって寺山が作・演出・音響を担当しました。演出家・寺山修司の誕生です。

天井桟敷の劇団員であった萩原朔美は「演出という仕事は、抽象化されたイメージを具体化する作業である」としたうえで、寺山の演出についてこう書いています。

「寺山さんは演出家タイプではないと思う。具体から抽象へと作業する方がスムーズな人だ。(中略)だから、後期の寺山さんの演出は、すべて抽象化された場面設定に終始する。リアリズムを方法論的に否定しているのではなく、思考回路の資質として出来なかった。そう考えると、あのおどろおどろした世界がよく分かるのである。」

…いまいち何を言っているのか掴めないでしょうか。私たちも今寺山修司の脚本に向かい合っていますが、非常に難解でどう表現したらいいのか苦しむことも多々あります。
その苦労の末に生まれた「おどろおどろした世界」。ぜひ劇場で体験してみてください。

資料が膨大でつい長くなってしまいましたね。まだまだ書くネタは尽きませんが今回はこの辺で失礼します。今日は仮組み!

参考文献
高取英『寺山修司論 創造の魔神』1992年 思潮社
萩原朔美『思い出の中の寺山修司』1992年 筑摩書房
長尾三郎『虚構地獄寺山修司』1997年 講談社
ウィキペディア 天井桟敷(劇団)

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